知人からチャットで「明日食事しない?」と連絡がありました。
ずいぶん急だなと思いつつ、「この人(筆者)は暇だしドタ誘いも大丈夫だろう」ということなのかな、と明日の都合を一応確認していると。
「予約した」の追加メッセージと共に、店名や予約時間が送られてきました。
断る理由もなく、モヤモヤしながら時間どおりに現地へ行ってみると。
「急な誘いだったのに来てくれてありがとう!会えて嬉しい!!」と大喜びする知人の姿があり、自分の心が狭いのかと、気持ちの行き場に迷いました。
急な誘いは、デジタルだから気になるのか
ひと昔前なら「今日ひま?」と電話がかかってきたり、子供のころならインターホン越しに「あーそーぼ!」と誘ったりするのは日常の風景だったと思います。

オンラインでのやり取りがデフォルトになった今は、こうした急な誘い方は「相手の時間を奪う行為」と、とらえられる傾向があります。
かつての「あーそーぼ!」と、現代の「予約した」の決定的な違いは、そこに「逃げ道」があるかどうかではないでしょうか。
対面や電話なら、その場の空気で「ごめん!」と言えた。でも、チャットで先に予約を突きつけられると、断る側が悪者のような空気が待ち受けています。
子供時代の「あーそーぼ!」は輝いてたのに、チャットの「予約した」は重い
子どものころ、家の前まで友だちが誘いに来ていたのは懐かしい思い出です。今、同じことをされたらびっくりしますね笑。
この数十年で、誘い方も様変わりしたようです。
日程確認して予約して、キャンセルがないように気遣って、といったステップを踏まなくては、となると、誘うのが面倒くさくなりませんか。
悪気のない「純粋すぎる喜び」
今回「来てくれてありがとう」と喜ぶ知人の笑顔に、嘘はありませんでした。
でも、その純粋さの裏側にある「相手も喜ぶに違いない」という思い込みは、時に相手を縛ります。

「急だけど、もし無理じゃなかったら」そんな、相手の「NO」を許容するワンクッションがあれば。
それがないまま突っ走る危うさを思うと、この純粋すぎる喜びの裏側で、静かに離れていった縁も少なくないのでは。そんな余計な心配までしてしまいました。
一人で食事や旅行をする「おひとりさま」が定着しているのも、こうした「誰かと関わることで発生する重圧」から自由になりたいという、現代人の防衛本能なのかもしれませんね。
かくいう自分も面倒な人間関係に疲弊して、テレワークを選んでいたのでした。
「在宅で働いて、いろんな付き合いを極力少なく」と思っていても時として、こういうことは起こるんだなと気付かされた出来事でした。
皆さんの周りでは、いかがですか。
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