数年ぶりに、コロナにかかりました。
40度近い高熱が出て、緊急外来で検査するも「陽性反応が出るには時期尚早だったかも」と言われ、熱冷ましだけもらって帰宅しました。
ただ眠るように過ごし2日が経過。熱は下がるも咳が止まらず、念のためと検査を受けたらコロナでした。
どうしても外せない予定などはなく、その後1週間ほど、ゆっくり休みました。
体力が回復するまでゆっくり休めたのは、納期のある仕事をもたなくなったから
数年ぶりのコロナで実感したのは「いつまで休んでもいいし、いつから仕事を再開してもいい」自由があったことです。
会社員だったころ、インフルやコロナにかかっても体調が完璧になるまで休むのは、難しかった記憶があります。
仕事そのものが切迫しているかどうかとは別に「自分が休めば誰かに仕事を引き継いでもらわなければならない」ということが気になっていたからです。
加えて「(インフルやコロナなら)数日休めば復帰可能」という常識?のようなものもありました。
そうした背景もあって、最低限の隔離期間を守り、仕事に復帰していました。
「本当はまだ万全ではないけど、ギリ動ける」と思いながら、仕事に戻っていたことを思い出します。
今は、やることがいくつあっても基本的には在宅ワークで、ひとり完結型の仕事です。
今日できなければ明日に回せばいい。誰かに「すみません、お願いします」と頼む必要もありません。
体調や体力の回復は人それぞれなのでは
同じ病気でも、症状が軽くなる時期や体力が戻るペースは人それぞれです。「熱が下がった=もう仕事に戻れる」とは限らないでしょう。
とはいえ、組織に所属して仕事をしていたら「そう長くは休めない」という暗黙のルールがあります。
今回、10日間たっぷり、最低限の家事をこなしながらのんびりしました。
それが功を奏したかは分かりませんが、風邪やインフル、コロナなどのあと数ヶ月単位で残りがちな咳が、しっかりおさまりました。
もし「明日稼がないと生活が破綻する」というギリギリの状態だったら、焦って無理に動いていたかもしれません。
ほんの少しでも蓄えを作ってきたからこそ、病気のときくらいは焦らず「まずは治そう」と思えた。

資産形成は、そうした焦りから自分を守るための気持ち的な余裕でもあると実感しました。
いつ仕事に戻ってもいい、という働き方はこういうところにも利点があるのか、としみじみ感じています。
「体調不良で途中下車したので遅れます」のメッセージ
そろそろ回復してきたし通常運転で仕事しようか、と思いつつ、ベッドの上で動画を見ながらダラダラしていた朝9時ごろ。
取引のある企業の全体チャットに「体調不良で途中下車しました。少し遅刻します。申し訳ありません」とのメッセージが流れているのが見えました。
「体調不良なら無理に出社しなくてもいいのでは?」と思いつつ、一方で「そう言えない現場の空気」や「休むと連絡するときの心理的ハードル」を想像しました。
無理して出社したスタッフの真面目さと、それを止められない組織の雰囲気に、昔の自分を重ねて少し切なかったです。
「ちゃんと行かないと」もほどほどに
筆者も長年サラリーマンだったから、こういうときの「行かないといけない」気持ちは、すごくよく分かります。
当時の職場の先輩から「有給は病気やケガのときにとるもの」と聞いて、そうした雰囲気を覆したいと思っていたんですよね。
全てを変えることはできませんでしたが、有給を全消化したり休みを無理やりつなげて独自に長期休暇を作ったりということは積極的にしていました。
遊びのための休みと、病気を治すための休暇。どちらもしっかり取れる世の中であってほしいです。
資産形成は、自分で采配できる「お金」のほかに「時間」を作ることでもある
会社員でなくなったあと、資産形成について考えるとき「いくらあれば老後は安心?」といったことばかり考えてきました。
でも今回、病気になってみて、資産には別の役割もあると改めて思いました。
「今日は休もう」
「まだ本調子じゃないから、もう少し休もう」
そう自分で決められること。筆者にとって資産形成とは、お金の安心だけでなく、こうした自由を少しずつ買っていくことでもあるのかもしれません。

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